古天守閣
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城名 |
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松本城 |
1590年小田原の戦いの後、松本に入部した石川数正(かずまさ)父子が、豊臣秀吉の東国支配の拠点として当城を築いた。 城郭は本丸・二の丸・三の丸と規格正しい縄張りで外周は城下町と社寺地帯を配してある。天守閣は当初3層4階の乾小天守と5層6階の 天守を渡り櫓で結ぶ連結式構成であったが、後に松平氏がこれに辰巳附櫓と月見櫓を複合させた。野面石による空積みの石垣 漆喰(しっくい)の大壁に黒の下見坂、狭間、石落しなどが目立つ。天守閣の外観は質朴重厚で古武士の姿にたとえられる。 |
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犬山城 |
木曽川の南岸にそそり立つ日本最古の桃山風の天守閣は望楼風天守とも呼ばれ国宝に指定されている。最上部は展望台になっており、 木曽御岳・恵那山・濃尾平野・伊吹山などが一望でき、眼下には木曽川の清流が陽に映え見事な眺望である。1872年(明治4年)廃藩置県で廃城になり いったん政府に没収されたが、同24年濃尾震災により破損したため同28年旧藩主成瀬正肥(まさみつ)が城を修理するという条件で譲り受け保存をはかってきたもので、 全国唯一の個人所有の城としても有名。 |
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彦根城 |
日本数多くある天守閣の中でも最も技巧を凝らした天守閣といえば彦根城天守閣のほかに比べるものがない。 彦根城天守閣は規模こそ小さいが、その外観は切妻破風(きりつまはふう)・千鳥破風・唐破風を巧みに組み合わせた屋根の線が美しく 調和と美観をたもち、輪郭の荘厳(そうごん)である。この国宝天守閣のほかに、天秤櫓・太鼓門櫓・西の丸三重櫓・佐和口多聞櫓や 場内に残る珍しい馬屋は重要文化財に指定されている。 |
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姫路城 |
播磨の守護職赤松則村・貞範父子が1333年から1346年にかけて姫山に城砦を築き、小寺氏の居城時代を経て、 1580年に羽柴秀吉が西国攻略の拠点として入場し3層の天守閣を築いた。関が原の戦い後、徳川家康の娘婿池田輝政が1601年本格的に築城し 現在の5層6階地下一階の天守閣を築いた。池田氏の後、本多・松平・榊原の諸氏を経て酒井氏が入封し明治を迎えた。3つの小天守とこれらを結ぶ渡り櫓に 囲まれた大天守、千姫ゆかりの西の丸長局(ながつぼね)や化粧櫓のほか、複雑巧妙な縄張りをもち攻め入る敵を防ぐ仕組みが数多く見受けられます。 さらに、1993年世界遺産にも登録されました。 |
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初代津軽為信(ためのぶ)が津軽一帯を平定し、2代信牧(のぶひら)が築城した。築城当時は5層の天守閣、櫓8棟・城門10等か建ち並んでいたが 1627年天守閣は落雷のために焼失した。その後は長い間天守閣のないままの状態が続いたが、9代寧親(やすちか)1810年に現在の天守閣を再建した。 規模は小さいが、特徴のある建物として有名。弘前城は弘前公園として1895年に市民に開放されて以来、桜の名所として全国にそのなを知られている。 |
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丸岡城 |
今を去ること410余年前北ノ庄城の支城として築城されたもので、天守閣は昭和9年国宝に指定されたが、昭和23年の福井大震災により倒壊。 昭和25年文化財保護法により重要文化財に指定された。昭和26年、用材の80%近くは元の古材を使用し、修復に着手。昭和30年に再建された。 日本現存天守閣の中で最も古い建築であり、外観は上層望楼を形成し、通し柱がなく、1層は2・3階の支台をなしている。 また、野面積みの石垣と石製の鯱や石瓦にも特色がある。 |
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備中松山城 |
現存の山城の中では最も高い位置にある城郭として有名。そそりたつ自然の巨岩を巧みに利用し城塁の壮観はほかに類を見ない。 1240年地頭の秋庭重信がこの他に城を築いて以来、山陰・山陽を結ぶ要衡の地として700余年にわたる興亡の歴史を秘めている。 現在の天守閣は水谷氏により修築されたものであり、1694年水谷氏除封の際浅野家家老・大石内蔵助がこの城を請取りに来たのは、落城後僅か13年の後ことです。 最後の藩主板倉勝静(かつきよ)は江戸幕府最後の老中職にあり朝敵となったが、忠臣の努力により戦火をまぬがれた。 |
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松江城 |
1600年関が原の戦功により出雲の領主となった堀尾吉晴は1607年から足かけ5年の歳月をかけて築城。 堀尾氏3代・京極氏1代の後徳川家康の孫にあたる松平出羽守直政が城主となり、松平氏10代234年、平和な治政が続いた。 明治初年、城内の建物は全て壊されたが天守閣だけは有志の奔走によって保存された。望楼様式を加えた独立天守で5層6階である。 壁は白壁ではなく、黒く雨覆板でおおわれ、その安定感のある武骨な体裁に、桃山風の荘重雄大な手法を見ることが出来る。 |
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丸亀城 |
1578年讃岐17万石に封ぜられた生駒親正が、高松上築城の後1597年から5年をかけて亀山に丸亀城を築いたが、 1615年の一国一城令により廃城となった。しかしその後、1641年天草富岡城主から丸亀5万3千石に封ぜられた山崎家治によって その翌年から大修築がおこなわれ、今日に残る丸亀城が築かれた。特徴はなんと言っても見事な石垣の美しさにある。天守閣に向かい4段階に積み重ねられた 石垣の曲線は天下一品の芸術品である。 |
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松山城 |
賤ヶ岳の七本槍で名高い加藤嘉明(よしあきら)が築城に着手し、26年かけて完成。その直後嘉明は会津若松藩に移封になり、 蒲生忠知が藩主になったが嗣子がなく断絶。その後1634年親藩大名松平家(久松氏)の居城となった。松山城は、姫路城・和歌山城と並ぶ 日本三大連立式平山城のひとつで高石垣と櫓の重なり具合が壮観であり、総檜造りの天守閣の威容も見事で、天守から15万石の城下の道後平野や、 伊予水軍の拠点であった瀬戸内海の島々も一望でき、外観・内容とも名城の誉れ高い。 |
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宇和島城 |
湾頭の丘陵に築かれた平山城で、慶長年間に藤堂高虎によって築城され、1662年から5年かけて伊達宗利により大修築されたものである。 天守閣は独立式で3層3階本瓦葺、白壁の総塗りごめ造りで荘重である。正面最上層の屋根に唐破風、2層に大型の千鳥破風、その下に2つの 千鳥破風を並べ、最下層にこれらの全てを受けた玄関に大型の唐破風がある。これらは各層の屋根とよく調和して、美しい姿と安定感をもち、 江戸時代初期の貴重な天守閣となっている。 |
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高知城 |
土佐24万石の藩主として入封した山内一豊により近世初頭に築かれたが、1727年の城下町の大火によって 天守閣はじめ大半の建物を類焼し、全面的な復旧工事終わったのは1753年のことであった。江戸中期の再建とはいえ全体に創建当時の姿を よく伝えられてると言われ、特に天守閣・書院(懐徳館)・櫓・門などがほぼ完全に揃っている本丸の遺構は全国にも例がなく価値が高い。 望楼型の天守閣は全国12箇所の現存旧天守閣の中でも比較的古い様式を示している。豪壮な追手門は創建時の遺構。 |