3/25〜3/31のレポートです

DATE

DIALY

2002/03/25
京都府

中仙道の旅本日まで。 やっと京都に入りました。 三条大橋を渡るとそこは京都です。 京都は歴氏の宝庫です。石を投げれば歴氏に当る(^^; 三条大橋を渡って市役所の近くの100円パーキングに車をとめます。 12分100円です。たか〜〜〜い。




御池大橋付近には”佐久間像山遭難の碑”があります。 ここで像山は討たれたのでしょう。 松代まで行ったので、これまた感慨深いものがあります。 三条通には”池田屋事件”の池田屋跡があります。 今はパチンコ屋になっていて当時を偲ばせるものは何もありません。 三条通から川原町通にでて四条通に向かう途中に ”竜馬・慎太郎遭難の碑”があります。そうです近江屋暗殺事件跡です。 河原町通を一本奥に入ると”新京極”がありました。 中学の修学旅行で来た事があってとても懐かしかったな〜。 そこの近くに”本能寺”がありました。 信長が明智光秀に討たれた”本能寺の変”の舞台となったところです。 信長があと一歩の所で討たれた無念さを感じることはやぶさかではありません。 ここまでの史跡は全て三条大橋からほどなくのところにあります。 やはり京の出入り口には波瀾が満ちています。

車に戻り、御池通から烏丸通に出て右に曲がると右手に京都御所が見えてきます。 ここの通り沿いには、”禁門の変”の蛤御門があります。 長州軍はここから御所に向かって砲門を放ったのでしょう。





車で御所の周りを回って、二条城に向かいます。 二条城は世界遺産でした。知ってました? 私は世界遺産が日本にいっぱいあるなんて知らなかった・・・ 駐車場(2時間600円後1時間200円)に車をとめて城内に入ります。 入ってすぐに有名な二の丸御殿があります。 これはいわゆる天守閣ではなく御殿です。 しかも本丸ではなく二の丸です。 二の丸の門は”唐門”途呼ばれており色鮮やかな彫刻が施してあります。 ここが有名になったのは”大政奉還”後、二条離宮として府庁が置かれたからです。 二条城には天守閣を持たないと思っていたのですが、 本丸に5層の天守閣があったそうです。 本丸御殿もあったそうですが、どちらも焼失してしまったそうです。 現在本丸にある本丸御殿は旧桂宮御殿を移築したものです。 大手門を出て東南隅櫓を見ると、なんだか江戸城の櫓に似ているように見えました。










二条通から小堀通と歩いて四条通まで行きます。 ここを右に曲がってしばらくすると”壬生寺”があります。 そこの手前に”新撰組屯所 八木邸”(1000円)があります。 ここは新撰組になる前の浪士隊の時に”芹沢鴨”、”新見錦”らが駐屯した邸宅です。 中はかなり狭く、何人で生活していたのかと思うほどです。 かもいには芹沢鴨暗殺時の”刀傷”が生々しく残っています。
一通り見学が終わり外に出ると手前の御茶屋でお茶菓子と抹茶がいただけます。 (見学料に含まれます)







八木邸の隣りが壬生寺です。ここには”壬生塚”があり隊士の墓所があります。 ここに芹沢・新見の墓石もあります。 それに、見たことある胸像が・・・”近藤勇胸像”です。 これって・・・調布の龍源寺でも同じものがありました。 近藤・土方らが駐屯した”前川邸”は囲いだけが残されています。











ここからさらに五条通を超えていくと”西本願寺”があります。 ここも世界遺産でした(^^; 西本願寺は新撰組の屯所が狭くなってきたので、 土方が願い出て屯所にしてもらった場所だったと思います。 ”御影堂”只今10年かけの工事中です。 ここにも”唐門”がありました。 伏見城より移築したものらしいですが、二条城のものと似ています。

2002/03/26
兵庫県

本日は伏見地区メインで行こうと思いました。 先ずは伏見城です。 伏見城と桃山城ずっと別のものだと思っていました。 実は伏見桃山城というひとつのお城だったのです。 さらに、伏見桃山城は2つあったのです ひとつは完成間近のとき大地震で崩壊してしまい、 実質使用はされてませんでした。 また、崩壊直後(翌日説あり)少し離れたところに築城開始したのです。 それが今回見学に行った”伏見桃山城”です。 ここは”キャッスルランド”という遊園地の一部になっており、 駐車料1000円、入場料800円と激高な料金です。 折角なので入場しましたが・・・ 伏見城は桃山文化を集結させた豪華絢爛なお城といわれています。 しかし、秀吉は完成後まもなく没してしまいます。 その後は家康が城主となります。 城内には秀吉自慢の”金の茶室”もありました。







ここから、伏見市街地にいくと”寺田屋”(400円)があります。 薩摩藩の”お家騒動”や竜馬がよく利用した宿屋として有名です。 目の前には3台駐車できるスペースがあります。 中は竜馬愛用の部屋と、竜馬を守るために妻が裸で駆け上った階段と風呂があります。 愛用の部屋には竜馬愛用の拳銃とその弾痕がありました。 昨日の八木邸もそうでしたが、こんな狭いところに薩摩藩士が大勢寄宿していたなんて・・・ 相当暑苦しかったと思います。








少し離れて、国道1号京都南ICの城南宮の国道反対側に戊辰戦争勃発跡。 そうです”鳥羽伏見の戦い”勃発跡があります。 鳥羽離宮跡地です。今は公園になっており小さな山に石碑が建っているだけです。 圧倒的に幕府軍が多かったのに官軍が勝ったのは、 やる気と武器の違いだったのかも知れません。 全ては時代の流れだったのですね。なんて、評論家よろしく語りたくなってしまいました。

2002/03/27
兵庫県

昨日の夜はかなり本格的に雨が降っていました。 道の駅三木(兵庫県三木市)ではイベントの予定があったらしく、 夜中まで人の出入りが多かったようです。 そんなことお構いなしに10:00まで眠ってました。 雨がやまなければ姫路城の見学はしたくないな〜と思いながら、 ここにいても仕方がないと思いなおし姫路に向かってみます。 川はみな濁流になっているところを見るとかなり降った事がわかります。 12:00ころになると雨もパラパラで、このまま行けば大丈夫かもと期待します。 姫路に近づくと、国道2号沿いに”御着城址”とあったので寄ってみました。 城址ですが、城に模した公民館がなんとも努力してると思われます。 姫路城に近づくと雨もすっかり上がり、青空もちらほら見えてきます。 (ついてる) 駐車場(3時間500円)に車をとめて、お城に向かいます。 入場門の前には”大天守大柱”がありました。 これは昭和の大修築のときに交換したものを展示しているようです。 いよいよ入場(600円)です。 姫路城は”国宝”であり”世界文化遺産”です。 さすがは”暴れん坊将軍”に使われるだけはありますね。 彦根城と同じく、天守閣だけでなくかなりの規模が残っています。 天守閣は3つからなっており、見る角度によって全然違います。 さらに天主台がかなり高いのが特徴です。 壁や櫓が複雑につながっていて、迷路のようでした。 本田忠刻が千姫(元豊臣秀頼の妻)との再婚のときに千姫の化粧櫓を造ったそうです。 中と外から写真を撮ってみました。






天守閣内には新しい”大柱”が2本ありました。






二の丸には”播州皿屋敷”で有名な”菊井戸”があります。 一枚・・・二枚・・・ってな感じですね。 公園の端のほうには大天守閣の模擬シャチホコがありそこから見るお城もなかなかです。 姫路城は城主の入れ替わりが多い城で、家紋が沢山用いられています。 増築改築のときの城主の紋を使用したようです。 大修築まえはかなりボロボロになっていたようですね。 松本城もそうでした。 このときの修復には家紋はどうしたんでしょう?(^^; 秀吉が中国征伐に使用したときの姫路城は今とは似ても似つかない形をしていたようです。 今形状のの原型にしたのは、関ケ原の合戦以降に池田輝政が築城したものらしいです。

2002/03/28
岡山県

本日の行動は早朝からです。 6:45からの出発。 相生市から海岸沿いを走ると、赤穂市につきます。 赤穂といえば・・・そうです”忠臣蔵”ですね。 赤穂城跡の看板につられて走ると大石神社の大駐車場に着きました。 大石神社・・・蔵之助は藩主浅野内匠頭長矩より有名になっちゃって、 扱いも逆になっちゃってますね。 大石神社には赤穂浪士47体の石像がありました。 なかなか壮観です。




赤穂城は現在発掘中らしく、一部だけの復元になっています。 大手門と櫓がひとつ。天守台もありました。 本丸は、説明だけがあったので天守台からの眺めを一枚。 赤穂城の周辺には武家屋敷跡が沢山ありました。 一般の家もあるのがおもしろかった。


朝早くて資料館もまだオープンしていないので、岡山へ向かうことにします。













岡山といえば、”後楽園”ですね。 ドームもしっかりありました。んなはずはない(−−) 後楽園も一度来たことはありましたが、以前より門が綺麗になってると思います。











庭園内は言うことなしですね。休憩処内に川が流れているという風流な建物もありました。 園内はちょうど桜が満開で、にわか写真家が大勢いました。 また花見客もいっぱいで、昼時には近くの会社からも人が来てお昼をとってました。 なかなか粋ですね。園内にタンチョウヅルも飼われていました。 この鶴の鳴き声がまた風情をかもしてます。 園外にも花見の施設があり、屋台も出ていて中にはうどんやもありました。 ここが関東と違いますね。



















後楽園と旭川を挟んで岡山城があります。 岡山城に行く前に私もお腹が空いたので茶屋でお昼をします。 後楽園と岡山城を結ぶ橋の近くに”城見屋”なる茶屋があります。 ここで名物”牡蠣うどん”(650円)と”ままかりの酢漬け焼”(350円)を 食べました。牡蠣うどんのほうはというと、大粒の牡蠣が5・6個入っていたのですが・・・ 牡蠣の出汁はでていなかったような・・・麺もゆでうどんでした。 ままかりの酢漬け焼は、酢が思いきり効いてます。 お酢の好きな方にはお勧めです。(^^;










おなかもいっぱいになったところで岡山城(300円)へ。 別名”烏城”外壁が黒かったのでそう言う名前がついたそうです。 中はアミューズメント風になっており、殿様や姫様の衣装をつけて写真を撮ることが出来るようです。 また、漆塗りの籠もありそこでも自由に写真を撮ることが出来ます。











岡山市内から国道180号を新見方面に進むと途中に備中高松城跡があります。 備中高松城は”秀吉の水攻め”で一躍有名になったところです。 って言うよりも、そのことだけのようにもとれます。 パンフレットにも”備中高松城水攻史跡”となってます。 城址といっても、もともと石垣を持たず土塁だけの城だったので小山があるだけです。 そこに”清水宗治首塚”があるだけです。

国道180号をそのまま新見方面に向かうと高梁市があります。 ここには備中松山城があります。 ここは山城。まさに山登りをしなくてはいけません。 8合目までは車で行けます。 狭い山道を登っていくと、石垣がちらほら見えています。 そこを通りすぎると、門の跡の石垣群が見えてきます。


こんな山奥にこんな立派な石垣と思うほど、複雑な造りになっています。 白い土塀は指定文化財です。 そこをずぎると天守閣・・・となるはずでしたが、 実は工事中で見ることが出来ませんでした。 同じアングルが資料館にあったので合わせて見てください。 後ろに周ると二重櫓は見ることが出来ました。 折角ここまで登ってきたのに残念です。

2002/03/29
広島県

結局昨日は備中高松城跡の駐車場でおやすみでした。 ここの駐車場の向かいが石材やかなにかなのですが、 朝の6:30ころからカチコンカチコンやっているので目が覚めてしまいました。 ここから30分くらいで倉敷市なので朝から寄ってみます。 倉敷も今まで見てきた古い町並みなのですが、ちょっと違うのは真中に運河があることです。 これがあることにより、時代劇を思わせます。 私は最近古い町並みに感動しなくなってきたようです。 ここに来るまでに、観光地じゃないところにもまだまだ息づいているのを見たら麻痺してきてしまったようです。 それでも倉敷市の”美観地区”は他とはまたちょっと違った良さがありました。 今日は雨が降っているのであまり動きたくはなかったのですが、 ゆっくりと”福山城”に向かってみます。 福山城についてみたら雨も小降りになっていたので見学へいって見ます。 福山城は福山駅の目の前にあります。 電車でなら探す必要なしです。 駐車場(30分150円)に車を停めて城内へ。 ちょっと気になったのは、ホームレスの方々が城内の公園にはびこっていることです。 これでいいのかな?ここ観光地でしょ?と思いましたが関わり合うのはやめましょう。 本丸の櫓には伏見桃山城より移築した、湯殿・月見櫓などがあります。 しかし!いすれも戦火で焼けてしまったので復元です。 天守閣はコンクリートで出来ている歴史博物館(200円)です。 ここも桜が綺麗に咲いてました。





さて、本日のメインとも言うべきかもしれない”尾道ラーメン”を食べに行きます。 尾道は”大林宣彦”監督の映画で有名なのですが、 映画のほうは良く覚えていないのでパスさせていただきましょう。 駅の周りは想像以上に近代的で、駅のすぐ横には高層マンション、目の前にはミュージアムとなっています。 駅の後ろには”尾道城”が見えますが、公園のお城もどきらしいので駅からの写真だけで・・・ 尾道ラーメンの一番流行っているところは”朱華園”らしいのですが、 店の前までいくとすごい行列です。 駐車場もないので他を見つけてみます。 きっと私には味の差はわからないだろうし・・・ 細い道をグルグルまわって見つけたのが”でく乃ぼう”です。 ここは居酒屋のようですが”元祖”という看板にだまされてみます。 尾道ラーメン(460円)の特徴は、スープに瀬戸内で取れた小魚の出汁を使っていることと 豚の背脂を使っていることらしいです。 背脂に関しては脂の塊が浮いているという感じで、 スープは濃い醤油味です。 食べ終えた後口の中がなんとも言えない待ったり感になりました。


尾道市のとなりは三原市です。 ここにも”三原城址”がありました。 三原城主は”小早川氏”です。 小早川秀秋の父”隆景”が初代です。 三原駅は三原城本丸と重なっており、天守台の一部は高架線の下にあります。 さらに天守台に行くには駅の中を通らないと行けないのです。 ”元国鉄”もこんなことなら”三原駅”ではなく”三原城駅”にしてお城方にすれば良かったのにと思います。

天守台の上は公園になっており”NHK大河ドラマ春日局ゆかりの城”なんて支柱がありました。 何年前のことでしょうかね(^^; こう言うときは、”大河ドラマ”は付けなければいいのに・・・ 早めですが温泉にむかうことにします。

2002/03/30
山口県

ゆっくり起きて8:00に出発。 いよいよ中国地方一番の都市広島に向かいます。 広島を走っていてひとつ気がついたことがあります。 都市部から離れた一戸建ての家の瓦の8割〜9割は赤茶色で、 しかもみな、シャチホコが立っているのです。 以前来た時は山口県だけかと思いましたが、広島もほとんどそうでした。 なにか、由来があるのかな?




国道2号から、広島城へはまっすぐ道が通ってます。 迷わず城までたどり着いたのですが、駐車場がわからない・・・ 城の周りをグルグル30分も回っていたら、 前の車が城内へ入っていくではありませんか。 ついて行ってみると、城内の神社の駐車場がありました。 しかも・・・無料で。なんだか得したかも。 広島城(320円)は城郭はじっかり残っているのですが、 建造物は主に門と天守閣だけです。 ここもやっぱり桜の見物客がおおかったです。 広島城内には明治時代陸軍本部があったらしく、 そのために原爆が落とされたようです。 そのときに広島城もすっかりきれいになくなってしまいました。 ここからすぐ近くに原爆ドームがあります。 道を挟んで前が広島球場です。 たまたま今日が開幕戦でメチャメチャ込み合ってました。 原爆ドーム・平和記念公園には被爆直後の写真や、 被爆前の写真などの石碑があります。 比べてみてください。 ドームもモダンな形をしていたのがわかりますね。 直後は、周にはなにもない瓦礫です。 この原爆ドームを見ると”はだしのゲン”を思い出しちゃいます。 知ってます?ゲンはこのドームにのぼって鳩の卵をとるんですよ。 あ〜健気。(^^; 外国人も沢山きていました。 アメリカ人はこれを見てどう思うのでしょうね。 アメリカ人が悪いわけじゃないけど、 きっと一部の朝鮮人の反日感情と一部の日本人の反米感情は似てるものがあるのかもしれません。 と、ここに来ると私みたいな楽天家もそんなことを考えさせられます。 国道2号で”宮島”に向かいます。 国道から30mくらい入ったところにフェリー乗り場があるのですが、 駐車場がいっぱいで停められません。 さすがに休日の日本三景は大混雑です。 以前一回周ったのであとにまわすことに・・・
程なく進と山口県に入ります。 入ってすぐに岩国市があります。 ”岩国城”・”錦帯橋”で有名です。 早速錦帯橋にいってみます。が・・・・ここもまたすごい大渋滞。(><) 休日しかも花見のピークなのでどこもいっぱいいっぱいですね。 2時間並びました。やっとのことで橋を渡れます。(220円) 総木造りで5連のアーチ型をしています。下を流れる川には大きな鮎が見えました。 この橋の上も進めないくらいの人人人・・・ こまったな〜。


岩国は宮本武蔵でおなじみの”佐々木小次郎”の出生地で、 かの”ツバメ返し”はここの川原の柳を相手に練習したという伝説です。 次会の大河ドラマは”宮本武蔵”らしいのでブレイクするかもしれませんね。 橋の脱出に成功すると目の前に”吉川広嘉”の銅像があります。 毛利家から出た藩祖です。 岩国城に行くためにロープウェイ(往復540円)へ向かうと中に、佐々木小次郎の銅像もあります。 宮本武蔵と違いスマートですね。(^^;

ロープウェイ乗り場の向かいには天然記念物”シロヘビ”(気持ち100円)がいます。 一匹だけではなく4・5匹いました。 アオダイショウの色素細胞欠如種らしく、2mにもなるそうです。 山の中で見かけたら手を掌わせたくなりますね(^^; いよいよ岩国城(260円)です。 岩国には米軍基地があるので外国人が多いです。 ロープウェイの中でもでかい声でしゃべっているので説明が全然聞こえない。 ちょっと迷惑でしたが、なにも言えませんでした。 ロープウェイの山頂駅より歩いて4・5分。 閉館間際に滑り込みセーフ。 城内の資料館に入ってすぐ大太刀がります。 2m以上のなたみたいな刀です。 こんなもので切りつけられたら、人間だって3枚に下ろせちゃいそうです。 現在の天守閣と違うところに天守台がありました。 なぜ天守台の上に復元しなかったのでしょうね? でも、小さいながら立派なお城でした。 帰りは時間も遅くなったので空いていました。

2002/03/31
山口県

山口県の大畠町の漁港に車を停めてぐっすり眠らせてもらいました。 今日は特に観光の予定もなくのんびりドライブでも使用かなと思っていました。 日曜日だしどこも混むのかなと思いまして・・・ 大畠から国道188号を西に向かい国道2号に戻ります。 徳山市内に入ると大きなコンビナートが目に入ります。 山口市より街の規模が大きいのではないかと思わせます。 そのまま国道2号を走ると新南陽市に”戸田駅”が左手に見えます。 特に観光場所ではないのですが、5年前この駅に野宿したことを思い出しついつい寄ってみました。 記憶と違わない駅の姿がちょっと懐かしさを感じました。

このまま進と防府市です。”府”がつくということは、周防の中心だったのかと思いました。 ここに”周防国衙跡”がありますが、説明も何もなく辺りも何もありません。 これから調査するのでしょうか? 秋穂町の温泉にいくべく、国道2号から県道にはいると”大村益次郎生誕宅跡”の石碑があります。 この石碑は”山形有朋筆”です。 写真を見ると頭よさそうですね。(^^;





いよいよ、最端の下関に入ります。 ここで、いままで勘違いしていたことを改めさせられました。 下関市には”長府”があります。 ”府”です。”長門の府”長府です。 明治維新はここから始まったのです。 私はずっと山口市だと思っていました。 街の中にもしっかり”維新発祥の地”と書いてありました(^^;










”功山寺”の”国宝仏殿”のところに車を停めて街を歩きます。 と、そこには”高杉晋作回天義挙の所”の石碑が立てられています。 街を歩くと土塀の道がとても情緒があります。 長府には”長府毛利邸”があり中を見ようと思ったら閉館時間で見ることが出来ませんでした。 ここを少し下ると”乃木神社”があるのですが、 そこに行くまでに”横枕小路”があります。 長府でも代表的な路らしいです。 この道沿いに”乃木希典生家”はあります。 ”乃木神社”は東京の乃木坂にもあります。 あちらが乃木希典の亡くなった場所で、 こちらが生まれた場所です。 同じ乃木希典が奉られてます。 乃木夫妻は仲がよかったことで有名ですが、 ここにも夫婦で銅像になっています。 その奥に行くと生宅です。二間に土間の狭いものです。 乃木希典の人間くささを思わせます。 ここの隣りで花見をしている1組のグループがありました。 ”乃木くん、乃木くん”と呼ばれていたので縁者かもしれないですね。





















ここから少し離れたところに”櫛崎城跡”があります。 今は天守台の復元と石垣の一部が残るだけですが、ここから関門海峡が一望できます。 ここから”下関外国船打払”をしたことは安易に想像できます。 天守台の目の前には大きな鯨がいます。”くじら館”といって、 ここのすぐ下にある水族館で以前使用していたものらしいです。 お城の近くの民家では柑橘の木が植えられてるところが多く、 沢山実らせていました。盗っちゃうような不届者がいないんですね。 下関駅に向かう途中で関門大橋が見えました。 車窓なのでうまく撮れませんでしたが・・・